スクウェア・エニックス AIアカデミー第1回「ゲームAI入門」感想

 本日7月23日に株式会社スクウェア・エニックス本社で行われた「スクウェア・エニックス AIアカデミー」の初回次に参加してきた。

 

 内容は、まずゲームにおけるAIについて1時間の講義を受けたのち、実際にスクエニ製のオリジナル・ボードゲームを使ってAIになってみるというものだった。ボードゲームによるワークショップはおよそ2時間をかけて行われた。合計3時間のイベントであった。

 

 

今回の講義の概要 (僕の解釈であり、必ずしも講義中に出た語を用いていない):

 

 ゲームAIは時代を経る中で大きくキャラクターAI、メタAI、ナビゲーションAIの3つに整理された。

 

 キャラクターAIは環境情報*1などから判断してユーザーの目の前で自律的に行動するもの、メタAIは全知の視点からゲーム性を調節するもの(難易度や戦術、敵の生成速度や配置)、ナビゲーションAIは環境情報を利用してキャラクターAIにとって有益な情報(最短路、安全路)を提供するものである。

 

 3つのAIはプレイヤーには見えないが裏で支える舞台装置のようなものだと解釈できる。たとえば敵が用いる戦術を司るメタAIを変えるだけで全く違った舞台になる。

 

 かつてはScripted AIという「ゲームデザイナーが操る糸」のみで制御されていた単純な世界は、これらの役割分化した自律的AI (Autonomous AI)が行動の最終決定権(意思決定権)を持つようになったことでゲームとしての豊かさを増し、デジタルゲームの目的である「多様なユーザー体験(User Experience)を作ること―――集めたい、壊したい、解きたい、切り抜けたいと言ったユーザーの感情に一層適切に的確に応えることを可能にした。

 

 

 

 

 まず講義について。僕は大学で1コマだけ人工知能の授業を受けたことがあり(dfsやbfs、8クイーンの実装、遺伝的アルゴリズムなどの説明)、ゲームの文脈でどうやってAIが語られるのか興味があった。

 

 大学の講義で僕がAIについて辿り付いた結論は「知能とは計算であり、およそ知的と呼ばれる作業の多くは関数の最大化問題に帰着できる」というものだった。ひとことで言ってしまえば、予想以上にいろいろな問題がAIで解決できるよ、というものだった。人工知能について学んだ人の多くがたどり着く結論だと思う。

 

 だが、講義で自分の想像が追い付いていないと感じていた。「およそ知的と呼ばれる作業」の中でどんな作業が他には含まれているのかが将棋やオセロのような二人零和有限確定完全情報ゲームの枠を超えなかった。

 

 今回のスクエニの講義では、その想像を超えたところで働いてるAIの姿を見ることができて良かった。特に

環境情報を埋め込んで、実際にユーザーが見ているものとは違う世界をAIに与えることで彼らの活動が容易になる

という話は非常に興味深かった。

 

 将棋やオセロでは環境情報として別個に考える必要がないくらい世界が狭いので、いったい何を環境として伝えるべきか判断する必要がなかった*2

 

 「ゲームデザイナーの操る糸」という表現が耳に残っている。糸というのはつまりは外部動力(外力)の比喩であり、Autonomous AIというのは動力が知識と行動リストという形で以ってAIの中に入ったということを表すのだ、と理解した。

 

 

 そして何より今回はワークショップがすごかった。スクエニの本気を見た。

僕は普段ボードゲームは全くしない(=楽しさをほとんど感じない)のだが、普通に楽しんでしまい、2時間があっという間に過ぎた。

 

 ワークショップでは、スクエニお手製と思われるボードゲームを4人で対戦した。1人がプレイヤ(キャラクターAI)、2人がエネミー(キャラクターAI)、1人がメタAIかつナビゲーションAIを担当し、迷路の中でゲームを進めていく。僕はプレイヤとして参加した。

 

 一度キャラクターAIとして世界を見てみると

こんなに何も見えないのか

 と驚くものがあった。

 

 僕は結局2体のエネミーに囲まれてゲームオーバーになったわけだが、ゲーム終了後に振り返りとして彼ら(2人組)が持っていた情報を見させてもらうとものすごい少なくて、エネミー自体もこれだけ暗くて頼りない情報の下で意思決定をして、しかも目的を遂行できたのかと驚いた*3。これは非常に面白い示唆だった。

 

 プレイしている中で、自分の予測が結構楽観的だなというのも分かった。今回のゲームは移動した瞬間に初めてそのマス目がどのマス目へ繋がっているのか判明するというルールだったのだが、隠されているマス目を開示する前は常に自分にとって一番都合のいい経路を想定していた。結果、都合の悪いつながり(例えば行き止まり)が出てくると次の手を探しあぐねるということが多かった。言ってみれば僕のプレイ中の思考傾向はデキの悪いNPCのようだった。例えば一番都合の悪い経路を先に想定するようにしたらゲームの見え方や、自分が選ぶ行動がどう変わったのか、時間があれば試して検討したかった。

 

 それと、別の卓でプレイしていたとあるエネミー氏は、ルールを見てすぐに最適戦略を見つけたということでプレイヤを瞬殺していたらしい。解散後に操作主にどういう戦略を取ったのかを教えて頂いたが、自分でうんうん頭を捻りながら見ていた同じルールに対してこれだけ全く違った戦略がありえるのかということで驚いた。

 

 もう少しこの点について考えてみると、確かに「エネミーはコスト1のみで6マス分の経路情報が手に入る」というのは相対的に有利すぎた。目的地であるG点まで確実にたどり着ける情報でなくても、自分にとって未踏のマス目について入口と出口が6つ分コスト2で分かるのは、

「1マス先(たとえばA5)から2マス先(たとえばB5)に行けるのか?」

「行けたとして、それは直線(=1ターンで行ける)か?それともコの字型の迂回(=最低2ターンかかる)か?」

でプレイヤーの生死が変動しうるあのゲームにおいては破壊的に有利だった。

 そして、このゲームはプロトコル(モンスターの間での情報のやりとり)がノーコストというのも大きかった。片方がマッパーとしてダンジョンの構造を把握する中で、もう一体に対してお前はあっちへ行けと指示を出す、という方法を取れば指令系統が情報強者から弱者へと統一される。

 プレイヤーはエネミーの位置を知っているので、全く動かない1体が何か悪さをしているなと感知はできても、その目的がマッパー自身がプレイヤーに奇襲をかけるベストポイントを探していることだとは気付きにくい。(見た目には、うろちょろしているもう一体の方が怖くて仕方がないので。)

 

 AIをボードゲームで学ぶこのようなワークショップを開くのは大学では無理だ。だからこそ価値がある体験だった。「どれくらいAIがお互いのことを知らないのか」(不完全情報ゲーム)を体験できる点で、優れたイベントだったと思う。

本を読んだり自分で実装していたのでは、なかなかそのことを知るのは難しい。

ワークショップの格好の題材だったのではないか。

 

*1:グラフとして整形された、AIに持たせる知識。講義中ではナビゲーションメッシュと呼ばれていた

*2:ただ今思うと、ビットボードで局面を表すのは、AIに渡す環境情報を選ぶという話かもしれない。

*3:この驚きは、自分が慣れ親しんだことのない不完全情報(プレイヤーはエネミーがどの点を目指して動いているのか知ることができない)というゲームの性質に起因していた。完全情報のゲーム(オセロ、将棋、囲碁)ばかり実装していたので、「一寸先が闇」ということがどれほどAIにとって怖いか、ということを考えたことがなかった。